共に中越大震災と東日本大震災を乗り越えてきた同世代のお二人に、「人と人─うながりをチカラへ」をテーマにインタビューさせていただきました。
<畔上純一郎さん>
中越大震災を青葉台の避難所で山古志の方と一緒に乗り越えてこらえた畔上さんからの声
震災の規模は違いますが、中越地震の際、青葉台に避難していた山古志の人たちを支援した経験があったので、東日本大震災で被災された方々が青葉台にも住んでいることを知り、何か役立つことがあるんじゃないかと思いました。山古志の人たちはコミュニティ単位で避難をしましたが、福島の人たちはバラバラに避難して生活しています。田植えや稲刈りなどの協働作業を通して、知らない人同士でも交流を深めてほしいと思い、そのためのきっかけづくりをしたにすぎません。「支援している」ということを意識せずに、自分たちにとって楽しいことをした結果、山古志の人たちにも福島の人たちにも喜んでもらえたのかもしれません。普段から地域のみんなで地域をつくっていく、みんなができることをやっていく、ということを心がけています。支援することによって、青葉台の地域の人たちの結束力も強くなりました。支援は“人と人”との結びつき、なんですね。
畔上純一郎さん→長岡市青葉台在住。「青葉台山古志応援団」を結成、中越地震で避難した山古志の人々を支援。現在は福島からの避難者支援も行っている。青葉台3丁目自主防災会役員。中越市民防災安全士会会長。
<吉田茂さん>
南相馬から長岡市に避難されてきた吉田さんからの声
長岡に来る前に、最初に避難したのは仙台のホテル。1日におにぎり3個しか配給されず、ガソリンは整理券を発行されただけ。これでは長期生活は無理だと思い、南相馬市が用意したバスに乗り込み、行き先も告げられずに到着した先が長岡でした。その夏に初めて山古志と青葉台の交流会に参加し、その時の“人と人”とのつながりが本当に温かったのを今でも覚えています。長岡に来て、たくさんのいろんな人たちに、応援してもらいました。「支援」というより「応援」。中越地震を経験し、苦労した皆さんの「応援」だからこそ、我々と一心同体なのだと感じることができます。それがとても嬉しい。中越地震から8年経っていますが、山古志と青葉台の人たちの交流はいまだに続いていて、絆があることに感動しています。人は一人では生きていけない。人の支えが、力強さや勇気を与えてくれるのだと、長岡に来てあらためて感じています。
吉田茂さん→福島県南相馬市出身。東日本大震災の影響により、2011年7月に長岡市青葉台へ移住。趣味は料理。長岡市川崎にある避難者交流拠点「まわらんしょ」で毎週料理をふるまうのが楽しみの一つ。
※インタビュー:中越防災安全推進機構:関谷央子
社団法人中越防災安全推進機構 機関紙より