東日本大震災で被災した宮城県女川町竹浦地区の住民8人が21日、中越地震(04年)で全11戸が被災し、1戸を除いて集団移転した小千谷市十二平地区を視察に訪れた。同地区には大震災後、集団移転を検討する宮城、岩手県など自治体職員らによる視察が相次いでいるが、一般住民では初めて。十二平の元住民たちは移転の際の復興基金の活用法などについて助言した。【宮地佳那子】
◇復興基金活用を助言
竹浦地区は海岸に近く、漁業で生計を立てていた住民が多いが、震災により壊滅的な被害を受け、高台への集団移転による生活再建を目指している。このため新潟大学災害・復興科学研究所の福留邦洋特任准教授が集団移転地区への視察に協力した。
女川町民たちは20日に中越地震で被災した旧川口町(現長岡市)小高地区、21日には旧山古志村(同)を訪れ住民から話を聞いた。
十二平地区は、地震後、同地区から約10キロ離れた三仏生(さんぶしょう)地区に集団移転した。このため十二平には現在住んでいる人はいないが、中には畑作業に通う人もいる。元住民たちは協力し合って十二平の沿道にアサガオを植えたり、民家があった場所に屋号を記した石碑を建てたりしている。
この日は、住民でつくる「十二平を守る会」の鈴木俊郎代表(72)が、地震後に同地区に建てられた交流施設「よりどころ」で、集団移転の経緯や移転先を選ぶ際の立地条件、復興基金の活用方法などについて助言した。女川町民からは「移転後の跡地の利用方法は」などの質問が出た。
津波で自宅が流された鈴木とみ子さん(63)は「これからどこに暮らしていけばいいか、落ち着かない日々を過ごしていた。地域住民同士でコミュニケーションをとって、考えていくのが大切だと思った」と話した。
女川住民らは同日夜は移転先の三仏生の民家に分散して泊まり、22日に住民たちの畑などを見て回る予定。
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20111122ddlk15040069000c.html