オフィス:小川です。
およそ、120日ぶりに福島県南相馬市にお邪魔してきました。
何をしにいったか? そりゃぁ~~仕事!(南相馬市から長岡市に避難されている方々向け情報「どうなってっぺ南相馬→改め→おだがい様らねっか」で南相馬からの情報をより強力に連携できるように現地NPOとの顔合わせや打ち合わせに行ってきました。といっても、みんなFacebookでつながった方々どうしなので、オフ会というなの飲み会に行ってきたというのがホントの話!
思い返せば、私自身がはじめて南相馬に入ったのが4月、2回目は6月、そして今回。 「どうだった?」といわれればこのように答えます。
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私の見た南相馬は確実にブラックコーヒーに飛び込んだ角砂糖のように色褪せ、崩れ去って溶けていく寸前のようでした。後に残るのは黒い闇と抜け出せない気だるさだけのような感じ。
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語弊はあります。ただ、聞かれればそのように答えます。
街自体の人の往来は、回を重ねるたびに多くなってきているように見られます。閉まっているお店もそりゃぁありますが、開いているお店も多く、市民が街にかえってくることを大々的に推し進めている南相馬市行政の成果がでているのかもしれません。
放射線量も空間線量で0.5μシーベルトくらい。新潟市が0.1μシーベルト前後であるから、ぶっちゃけそれほど問題ないような気がします。東京近郊のほうが怪しいくらいです。もちろん、山側にいけば、立ち入り禁止レベルのところも多々ありますけどねぇ。ホテルは原発関係の作業員らしき人たちでどこも満員御礼!居酒屋だって大流行りです。
オフ会の会場だった居酒屋さんには何事も無かったかのように海産物が並び、道の駅では「ほっきコロッケ」に「青のりソフト」、どこもかしこも、南相馬も他の津波災害地域どうように復興に向かって邁進中!
東電から出た一時金を握りしめた災害失業者は、こぞってパチンコ屋に入金を繰り返し、ここは「放射線の街!ニッポンのラスベガス」と居酒屋で若い男の子が「今日は5万出た」って大騒ぎ!
6国(国道6号線)の小高区に入る20km圏内ゲートでは、朝から工事事業者らしい車がゲートの中に入って行きます。そのゲートのところの近くのコンビニは今日も引っ切り無しにお客さんがレジに並ぶ盛況ぶり。
朝から6国を健康ウォーキングをする若い夫婦は、健康ウォーキングでそんなにベタベタするか?と思っちゃうほどの熱々ぶり。(羨ましい)
泊まったホテル高見の近くは、新興住宅街。立ち並ぶ家はどこも新築の香りが漂うほどの真新しさ。窓の中には、冬物の洗濯物が立ち並ぶ。
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すでにFacebook越しに様々なお話を繰り返してきた方々との飲み会なので、ぶっちゃけトークの連呼が終始繰り返された「Facebook南相馬市グループ」のオフ会でした。その中で記憶に残ったお話をチラリ☆
◇ご近所のあるお母さんの話
中学生の娘に言われた言葉。「どうして私を逃してくれないの!お母さんは、私を愛していいないんでしょ!私はもう子供も産めないし、結婚もできない!生まれてきた意味なんでなかったじゃない!」
◇南相馬市内鹿島区の避難所から帰ってきた時の話
ゴミ袋の中身を、ブチマケられていた。そして、「どうせ逃げた癖に、何しに戻ってきたの」
◇近所の隣人の話
お母さんの枕元に食べ物を残して、息子夫婦家族は深夜こっそり逃げ出したって家族もあった。
◇近所の隣人の話
震災前から東京に住んでいる息子からは、一本の電話もなく息子に捨てられたお母さんは毎日、ご近所さんの家の前の道路の掃除なんかをしている。
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隣近所のウワサ話はウワサ話。
しかし、昔からこの南相馬市は移住者が多い土地がら、未だに何代目なんていうのが市民の中に残っている。
それぞれを監視し合い、牽制し合いながら、見知らぬ土地での共同生活を送ってきたこの地域の土着文化が、原発災害によって避難した人を「悪」と呼び、「裏切りもの」の揶揄し、地域の絆を崩壊させたのだとしたら居たたまれない気持ちになる。
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放射線量が、どうであろうが、南相馬市からの出荷物が売れるなんてことはありえない。農作物は当然。水産物もしかり。工業製品だって進んで買う人がいると思えない。この街が今後、経済活動を維持している方法が明確でない以上。放射線特区南相馬市に明日の希望はないと言わざるおえない。
そんな中、セシウムを吸い上げると大量に植えられたヒマワリを使って、バイオ燃料を作り、それを主産業にできないかという取り組みがあるらしい!
テレビなんかで見えない情報伝達人:小川より