[ カテゴリー:子育て ]

身近な人を「すごい!」と言えますか?

旦那や妻。父や母。子ども。上司や部下、そして同僚。近所の人、学生時代の知人……。身近な人を、どれだけ「すごい!」と言えるかが、自身を成長させつつ、幸せ感あふれる生活を送れる考え方です。

「その人を全肯定せよ!」と申しているわけではありません。身近な人だから言える(言われる)「欠点の指摘」はとても大切です。すごい部分を見つけ、すごいと思って、その点について「すごいよ」と本人に伝えたり、「あいつのすごいところは~」と語れる機会の多寡が、その人の成長スピードや幸せ感に比例する、と申したいのです。

それはなぜでしょうか?

1.異質なものに飛び込みやすくなる

僕の父母は自営業を営んでおり、毎日の帳簿をきちんととり、確定申告の知識もそこそこあります。財務・会計といった分野が大の苦手な僕からすると、とてもすごいと思います。

僕の妻は、お願いしたわけでもないのに、いつのまにか洗濯や掃除を自らの仕事と取り組むようになっています。共働きなので本来は分担して……というところですが、僕はずぼら、彼女はきちんとしている性格。家事を苦もなくこなす彼女もすごいと思います。

朝、笑顔で「おはよう!」と声をかけてくる同僚がいます。小さなころから朝が大の苦手で、ぶすーっとしていることが多い僕からすると、相手に陽のパフォーマンスが自然にできるその人間は、とってもすごいと感じます。

すべて、「自分にはない」能力なり、性格なり、嗜好性なりに「すごい!」と感じているわけです。「身近な人」に対してこう感じることを繰り返すと、いつの間にか「異質に飛び込む」自分ができます。

人間は能力なり、性格なり、嗜好性なりが近い人と群れる傾向にありますよね。その方がラクですから。そして、新たな出会いも、近い人を求めがち……。もちろん、それはそれで気持ちの良いものですが、成長の速度は(そのときの自分とは)異質な人と出会い、触れ合うより圧倒的に劣ります。

しかし、あえて異質な人と会う気持ちというのは、なかなか起きないのが多くの人ではないでしょうか。たまたま「身近」だった人の、自分にない部分を「すごい!」と思うことで、異質に対する抵抗感は薄れ、賞賛の対象として見るようになります。

だから例えば僕の場合、あるキッカケで、「ねぇねぇ寺西さん、整理整頓についての本をいっぱい書いている方の講演会があるんだけど、一緒にいかない?」と誘われた時、「苦手だから」「興味がないから」という抵抗感より、「すごい!」からくる興味が先に立ち、飛び込みやすくなります。飛び込んだ結果、苦手だったことが得意になるかもしれません。これが成長ですよね。

2.悪口を言わなくなる

異質な人というのは、自分にできない部分を持っている半面、自分からすると「どーしようもないな~」と感じる部分も持っているケースが多いです。

例えば僕の妻の場合、上述の家事についての振る舞いができる「きちんとした」性格であるため、出かける時の準備などが遅く、イライラするときもあります(苦笑)。身近であるがゆえに、こんなささいなことでケンカ……という方も大勢いらっしゃるでしょう。

でも、「自分が持っていて、相手が持っていない能力・性格」は、実は「相手が持っていて、自分が持っていない能力・性格」と表裏一体であることが多いんです。つまり、相手の「できない」ことを責め、直すよう求めると、これまでやってくれていた「すごい!」という部分ができなくなるわけで。

「すごい!」と思い、伝える機会が多ければ多いほど、他人の持っているアラに対し「仕方ないよね、●●という長所と表裏一体だもんね」と思えるようになります。つまりは、他人のできないことへの悪口につながらなくなります。

3.技術としての「褒める」が不要になる

身近な人に「すごい!」と感じ、声を発する行為と、よくある「褒めて伸ばす」という行為は、その本質が真逆だと思っています。

「すごい!」と感じるのは、自分と異質であるところか、同質だけれども自分には到底到達できないレベルに到達していることに対してなのですが、「褒める」点を探す、長所を見つける、という行為をしている時の自分は、自分と同質(=自分の価値観の中で「素敵」と思っていること)で、かつ、自分が到達可能なレベルの行為に対して、じゃないですかね?

例えば、リーダーシップ型の上司は、部下の「リーダーシップ」につながる行為を褒めるでしょうが、「マネジメント」につながる行為は褒めにくい。マネジメント型の上司は、部下の「マネジメント」につながる行為を褒めるでしょうが、「リーダーシップ」につながる行為は褒めにくい。

巧遅より拙速を好む人は、他人のスピードある行為を褒め、ノロノロしているところをどうしても責めがち。拙速より巧遅を好む人は、他人のキッチリしている行為を褒め、素早く判断した結果としての「やっちまった」失敗を責めがち……じゃありませんか?

「褒めて伸ばす」ことも必要な時はもちろんあります。しかし、「褒めて伸ばす」技術ばかり追いかける人は、結局のところ、自分の分身(かつ、自分よりレベルの低い人間)を作ろうとしているだけで、その人から自分自身が良い影響をもらい、お互いに刺激し合う……ということにはまずならないと思います。

自分の持っていないところに対し認める「すごい!」。これを同僚や部下に純粋に感じると、上司だって学び、成長できる点はたくさんありますし、その言葉を相手に投げかけると、本当の意味で「褒めて伸ばす」が狙っている結果に近づくような気がします。

4.自分の存在理由を客観視できるようになる

身近な人に「すごい!」と感じない人は、性格としてか、それとも状態としてか分かりませんが、「内輪ウケ」の環境に自分自身を置いている人なんだと思います。つまりは同質の中から抜け出せていない人なんだと。

同質な環境の中だけで生きていると、何かのキッカケで異質な環境に放りこまれたときに、対応がつかずパニックになります。同質な環境の中で異質を評論家的に分析していた場合はもっと不幸で、異質に放りこまれると「こんなはずじゃなかった」という思いがメンタル面を壊すキッカケになります。同質な環境の中での自己評価は、決して客観的なものにはなり得ません。結果、成長につながりません。

身近な人に「すごい!」と感じ、異質についても学ぼう、評価しようとしていると、いつの間にかそのベクトルが自分自身にも向き、「自分の異質かつ良いところは何か?」と無意識にとらえようとする自分ができあがります。

この点、つまり他人と交流してもらえたり、社会の中で認められている自分の根幹、「存在理由(レゾンデートル)」を客観視できるようになることで、外部環境にどんな変化があっても自分を失わず、幸せ感を保てるようになります。同質の中で戯れ、「自分って●●だよね」と勝手に自分の長所を思いこんでいる状態とはまったく違います。

5.子育てに良い

「子どもって、純粋にすごい!」と思います。

自分が忘れていた数日前のことをしっかり覚えていたり。約束を必死に守ろうとするけなげさだったり。純粋に「なぜ?」と思えたり。そのひとつひとつに、思ったまま「すごいな!」と言えるようになると……あとは皆さんのご想像にお任せします。

ぜひ、身近な人を「すごい!」と言えるようになり、成長と幸福感を手に入れましょう!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110831-00000017-zdn_mkt-ind

Facebook にシェア
[`tweetmeme` not found]

コメントする

Facebook にシェア
[`tweetmeme` not found]

団体理念  │  活動展開  │  団体構成  │  定款  │  プライバシーの考え方  │  セキュリティについて  │  事業  │  メディア掲載  │  関連サイト  │  お問い合わせ

copyright © JMJP HOT TOWN Infomaition Inc. All Rights Reserved.   NPO法人 住民安全ネットワークジャパン

〒940-0082 新潟県長岡市千歳1-3-85 長岡防災シビックコア内 ながおか市民防災センター2F TEL:0258-39-1656 FAX:020-4662-2013 Email:info@jmjp.jp