■「底辺知って」難病おし講演活動
原子力発電所の下請け労働者を約40年間取材してきたフォトジャーナリスト、樋口健二さん(74)=東京都国分寺市=への講演依頼が殺到している。福島第1原発の事故収束作業で労働者の被曝(ひばく)が問題になり、情報が少ない原発労働の実態に関心が集まっているためだ。「ぼろぼろになって死んでいった原発労働者が大勢いたことを、鎮魂の思いを込めて語り継ぎたい」と、自身の難病をおして全国を駆け回っている。
樋口さんは昭和47年から原発を題材に選び、52年には骨髄転移性がんで死亡した福島県浪江町の元原発労働者、佐藤茂さん=当時(68)=を取材。防護服と防護マスクを着用した労働実態を「まるで宇宙人のようじゃった。熱くてよ、苦しくてよ…」と回想したことに触発され、同じ年に敦賀原発(福井県敦賀市)内部で働く労働者たちの撮影に成功、反響を呼んだ。
これまで取材した原発労働者は約150人。いずれも原発で被曝し健康を害した、と訴える労働者たちだ。ある元労働者は汚染水を拭き取る作業の約4カ月後、高熱が続いて歯がこぼれ落ち、髪も抜けた。別の元労働者は「助けてくれ。(自分のことを)伝えてくれ」と病床に樋口さんを呼び、死んでいった。
樋口さんによると、原発労働者は「人出し」と呼ばれる親方によって集められ、300種類以上の雑役に従事。何次にもわたる下請け業者と親方に賃金を搾取される一方、決められた作業を終えるまで被曝せねばならず、線量限度のことを「我慢(すべき)線量」と呼んでいるという。
そんな樋口さんも平成11年、国内で初めて事故被曝による死者を出したジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故を取材し、5年後に鼻血が止まらなくなった。昨年末に「再生不良性貧血」と診断。白血球と赤血球がともに減少する難病だ。
一方、福島第1原発の事故後は、こうした労働実態への関心が高まっており、樋口さんが病をおして講演するのも、すでに約40回を数えた。
今月13、14日には和歌山市内と大阪市内で講演し、来年1月まで日程が入っている。今月には写真集「原発崩壊」(合同出版)を出版し、過去の著作の改訂も重ねた。
福島第1原発事故で厚生労働省は、労働者の被曝線量限度を250ミリシーベルトまで引き上げたが、103人が従来の線量限度100ミリシーベルトを超えていたことが分かっている。今月1日には1、2号機付近で10シーベルト(1万ミリシーベルト)という高線量が測定され、労働者の被曝のリスクはなおも高いとみられる。
樋口さんは「底辺にいる弱い立場の原発労働者たちは、ぼろぼろに使い捨てられてきた。少なくとも、福島第1原発の事故では手厚い補償をすべきだ」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110829-00000110-san-soci