香港人にとってブームを越えた大切な生活の一部になりつつあった日本食。しかし3月11日の東日本大震災による福島原発の事故以降、大打撃を受け廃業を余儀なくされたレストランも多かった。そんな中、日本食復権のために素早く的を射た行動を起こし、流れを一変させたのは、香港政府と香港の業界人たちだった。その活動の中心人物であった大物香港人ビジネスマンと、こだわりとアイデアで苦境を乗り越えた二人の日本人レストランオーナーに、震災後の香港での日本食復興について話を聞いた。
スピーディな香港政府の対応
市街地の面積は東京23区のわずか約4分の1という香港。その中に700軒~900軒の日本食レストランがひしめきあい、「日本料理店の密度が東京より高い」と言われるほど。その印象を裏付けるように、香港の日本食品輸入額は3年連続で世界第1位。たった700万人の人口で、人口3億を超える第2位の米国を大きく引き離し、実に日本の農林水産物輸出額の約4分の1を香港だけで占めているのだ。
3月11日の震災後、福島第一原発からの放射能による食品汚染の危険性に気づいてからの香港政府のアクションは、驚くほど効率がよく迅速だった。
輸出時に日本政府による放射能検査が行われないなか、香港側での抜き取り検査の実施を決め、震災のわずか20日後には「放射能検査不合格食品は輸入禁止」という条例を成立させた。一方で、現場での検査体制を整え、同月26日には検査を開始。28日には、日本からの輸入食品に対する香港政府からのお墨付きとして「安全証明書」を発行していたのだ。
それと同時に福島県と近隣4県からの一部食品輸入を禁止した。これらの施策により、実質的に香港に放射能に汚染された食品が入って来る可能性はなくなった。日本国内の放射能検査の体制が未だに整っていないことを考えれば、香港で日本食を食べる方が日本より安全だとも言える。
「香港政府の場合、検査費用負担はもちろん、抜き取り検査の対象食品は政府が買い上げてくれるために、業者には全く負担がかかりません」とは、香港の日本食業界と長年取引をする兼松(香港)有限公司食糧部の久米勝氏。「日本では安全性を証明するには、業者が独自に検査をする必要がある。検査費用や抜き取る商品の代価を合わせると、もともと薄利多売な業界ですから、ほとんど利益がなくなってしまいます」。自国内の商業活動を助けようという香港政府の姿勢と比較した、日本政府の無策には暗い気持ちになる、とため息をついた。
しかし、せっかくの香港政府の迅速な行動も、残念ながら香港の一般消費者には全く認知されていなかった。きちんと報道したのが新聞社1社だけだったからだ。それどころか、4月3日には「日本で売れなくなった汚染魚が香港に持ち込まれて売られている」というデマがタブロイド紙に掲載される始末。
そして震災後、当初は津波被害に集中していたテレビ・新聞の報道が、数日後には放射能汚染の恐ろしさ、すさまじさを前面に出したものばかりにすべて切り替わり、1カ月以上の間、トップ扱いのまま垂れ流され続けた。その内容はといえば、例えば福島原発が地図上で東京にあるかのように記されるなど、「日本全土が放射能汚染で壊滅」という印象を香港市民にすり込むものだった。
風評被害を払拭した香港人主導のプロモーション
こんなメディアの報道によって、実際には厳格な検査済みの食品が流通しているのにもかかわらず、日本料理店は軒並み閑古鳥の状態に陥った。まさしく「風評被害」だ。それまで予約がなかなか取れなかったり行列が出来たりしていた人気店でさえも、「今日の来店は3組」が当たり前という状態になってしまったからたまらない。
「4月には日本料理店の売上が半減していました。私たち食材の輸入業者にとって、日本料理店とは香港人も日本人もない、共存共栄の関係にあります。これは何とかしなければと、香港政府の高官で、飲食業界を代表して選出されたトミー・チャン議員と対策を話し合いました」と、流ちょうな日本語で語ってくれたのは、日清製粉、UCC、ダイドーなどの有名ブランドの食品2000点以上を扱う日本食材輸入の最大手、味珍味(香港)有限公司会長であるフランキー・ウー氏。同氏は香港日本料理店協会会長などの要職も務めている。
ウー氏のアクションも、香港政府に負けず劣らず早かった。「香港人はメディアの情報にとても敏感ですから、まずは日本食を安心して食べられることを、メディアを通してアピールしなければなりません。ピンポイントで香港政府トップの曽行政長官(日本の首相にあたる)に協力をお願いすることを決め、彼を招いたイベントを開催することにしたのです」。
多忙な曽行政長官を動かした決め文句は「日本食業界がこのままダメになれば、やがて香港で5万人の失業者が出ます」。香港の行政トップを招くことで、特に打撃の大きかった高級日本料理店での接待需要を呼び戻そうという狙いもあったという。
曽長官から5月23日ならと返答をもらったウー氏。今回のプロモーションを「愛・日本料理」と名付け、香港最大手のガス会社に後援を要請して活動資金を調達。香港政府の放射能検査を啓蒙するポスターも多数作成した。
数日中に数百の日本食レストラン経営者に連絡を取り、香港日本人倶楽部を会場として、行政長官を初めとする政財界の大物や有名芸能人を集め、高級日本食材を用いた試食イベントを開催。そしてその3日後の5月26日を第1回とする「毎週水曜日、4週にわたる日本食半額デー」の開催を経営者たちに提案し、320店が参加を決めた。
「愛・日本料理」の一面広告を各大手新聞に掲載、そこには全参加店のロゴがずらりと並んだ。すべての運営・広告費用は協会が賄い、経営者には半額デー以外、一切負担がかからない。
イベント当日、在香港日本国総領事館の隈丸優次総領事と並んだ曽行政長官が美味しそうに寿司を頬張る姿と、放射能検査への説明が、大手メディアで一斉に報道された。「香港で食べる日本食は安全」というメッセージは確実に広がった。
震災前よりも活況の寿司店も
日本人のレストラン経営者にとって、このプロモーションの効果はどのようなものだったのか。
香港の消費者は、寿司や刺身などの生ものよりも焼き肉や焼き鳥などの焼き物系の方が安全というイメージを抱いていた。そして、それまで「日本の名産地直送」をうたっていた高級寿司店での客足の衰えが特に激しかった。
そんな中、この「愛・日本料理」をきっかけに、震災前よりも人気が高まったという寿司店がある。長年、香港在住の日本人と香港人の両方が訪れ、早めの予約が必要だった本格寿司店「寿司廣」だ。その秘密は、思い切りのいい判断にあった。
「今回のプロモーションで、半額デーの内容は、半額デー専用メニューを作ったり、アラカルトのみ半額にしたり、ドリンクだけを対象にしたりと、各レストランが自由に決めるという取り決めでした。寿司廣では、損を覚悟で思い切った手を打つことにしました」と、寿司廣を中心とした和食店を複数経営する吉田寛氏。もともと高品質でありながらお得感があるのが人気の一因であったところに、「全メニュー全日半額」を打ち出したのだ。
「不安感から来店を控えていた常連客が戻って来たのに加えて、今までうちを試してみたかったけれども何となくきっかけがなくて、という新規客が多数訪れてくれたのです」と吉田氏。「寿司廣全品半額」の情報はたちまち口コミで広がり、開始1週目には半額デーの4週分の全予約が埋まり、長いウェイティングリストまでができたという。
「この4回の水曜日の混雑ぶりは、私たちが未だかつて経験したことのない凄まじいもので、まるで戦場でした」と振り返る吉田氏。サービスの面で従来のレベルに至らなかったのではと憂慮もしたが、この時訪れた新規顧客の多くがリピーターになったことで、徐々に波に乗ることができた。
しかし、それも顧客を惹きつける品質があってのこと。輸入停止の影響もあり食材の確保が難しい中、放射能汚染への顧客の不安を拭いながらも、何とか味のレベルを落とさないことに徹底的にこだわったという吉田氏。
「一時は、韓国産・台湾産の海産物を代わりに輸入することも検討して、サンプルを取り寄せ、スタッフと試食もしました。ですが最終的には味にどうしても納得が行かず、あくまでも日本産にこだわり、日本の中で代替産地を探すことを改めて決意しました」。
新参店の厳しい戦い
日本食人気を追い風にして最近香港に進出した個人経営の小規模店の場合は、今回のプロモーションの連絡リストから漏れていた店も多い。
建設業から脱サラして香港に移住、カジュアルな居酒屋「魚八水産」を昨年8月にオープンさせた中村光成氏は、そんな店の経営者の一人だ。
「父がホテルの料理長で漁師という家庭環境に育ったものの、食関係の仕事経験もなく、香港に住むのも初めてという状態での開業でした」と語る中村氏。「私の場合は、とにかく自分が顧客視線で理想とする居酒屋を作ろうと試行錯誤をするうちに、徐々に固定客が着いてきて、『香港人8割、日本人2割』と想定した顧客ターゲットも実現。2月にはやっと目標の売上を達成できたという段階でした。さあ、これからという時に震災が起きたのです」。
昨日までにぎわっていた店が、たちまち無人状態になった。香港人のアルバイトで、「日本食はもうだめだ」と親に説得されて辞めていった者もいる。
「香港じゅうの日本料理店を廻り、焼き物系の店には実際に客が入っていることを確認しました。そこで、思い切って浜焼き用テーブルに備えていたグリルを活用して、焼き肉を扱うことにしました」(中村氏)。魚屋が肉なんて邪道、と反対する声もあったが、香港の情報誌に紹介されると、香港人の若者に「肉も魚も一度に食べられる手頃な店」と評価された。
焼き肉以外にも、フランス産や米国産の牡蠣を仕入れて「オイスターバー」を始めたり、出身地の三重県の名産をと考え、真珠の養殖に使うあこや貝を仕入れて、真珠の粒をおまけに添えた焼き貝柱を出したり、お伊勢参りで食べる名物料理のてこね寿司を紹介したり。また、「店の名物になる一品を作りたくて、損を覚悟の79香港ドル(日本円で約790円)でずわい蟹を出す、子連れ向けに子どもメニューを設け、トイレにオムツ換え台を整備するなど、とにかく他の店がやっていないことを、とアイデアを絞りました」(中村氏)。
中村氏を最も感動させたのは、香港人スタッフの協力だった。魚八水産では日本人は中村氏を含めた2人だけ、残りは全員香港人。「お客さんがまったく来なくて、何もすることがないとき、スタッフ全員で店のチラシを配りに街頭に立ちました。普通なら厨房から出ることなどないシェフまで『俺も行くよ』と付いてきてくれて。『この人が作るんですよ』などとスタッフが盛り上げて、道行く人との会話を楽しんだり、『誰が一番多く配れるか』と、ゲーム感覚で競争してみたり。普段ならチラシ配りのバイトが1日30枚配ればいい方なのですが、この時はなんと1人1日300枚も配ることができたんです」。
一つ一つの努力が実り、徐々に客足が戻った。7月には震災前のレベルにほぼ達している。
「日本ブランド」を守るには
今回の風評被害で、胃の痛む日々を送った日本人経営者たちも、香港の政府、大物ビジネスマンからお店のスタッフまで、日本食を重要視し愛する人達の助けを借りて、危機を脱することができ、お互いの連帯感、団結力を強めたことは確かだ。
しかし一方で、取材で会った日本人全員が口をそろえて言っていたことがある。「日本政府は何をしているんだ」と。日本食業界を支援する香港人の厚意に応えるためにも、放射能検査やプロモーションなどの対応に関して、今後は日本政府や出先の行政機関も積極的に動いて、香港側との協力体制を強化させていくべきではないのだろうか。
50年以上も日本食業界に関わっているウー氏にとって、一番もどかしいのは、日本政府や都道府県が放射能検査を行って「この食品は安全」という証明書を出そうとしないこと。「実は日本は、震災前から本来出すべき輸出品の品質証明書を『日本国内で1億人以上が食べて安全だから大丈夫』という根拠によって、出さないで来ていました。確かに日本の食品の品質の高さと安全性は今まで認められてきましたが、目に見えない放射能については、検査なしに『安全、安心』を連呼されても、説得力がありません」(ウー氏)。
震災後も、日本全国の産地に招かれることの多いウー氏だが、食の安全性に敏感な香港人の消費者に安心してもらい、輸入業者のリスクを軽減するためにも、「香港政府だけではなく日本側からの安全証明書はやはり欲しい」という。しかし、「日本中どこに行っても『うちの県の食品は安全、安心』と口で言う。『じゃあ、それを紙にして保証してください』、『それはできません』という繰り返しで平行線のままなのです。いろいろな立場やしがらみがあるのは分かりますが、そんなやりとりの後は、お互いに苦いものが残ってしまう」と顔をしかめる。
取材を通じて、今回の食の安全性証明に関する日本政府の無策が、「品質と安全性を徹底的に極める日本」「自国政府より信頼できる日本政府」という、これまでアジア各地で賞賛されていた日本そのもののブランド価値を貶め始めていると感じずにはいられなかった。これは日本にとって、短期的な風評被害や復興を越える、非常に大きな長期的ダメージになるのではないだろうか。
「日本の皆さんも元気をだして声をあげて、ぜひ政府を動かしてください」と、ウー氏。
日本を深く知り、深く思ってくれる人物の声だけに、その重さが胸に響いた。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110808-00000003-trendy-bus_all