東日本大震災を通じ、災害時の障害者や難病患者、高齢者らの避難態勢の在り方に課題が突きつけられた中、東京電力福島第1原子力発電所の事故があった福島県内でも、関係者が、極限状況の中でどうやって「災害弱者」を守るのかという命題に突き当たっている。支援団体などは今後に備え、独自の避難計画の作成や、訪問調査による必要な支援の把握といった取り組みを進めている。(伐栗恵子)
原発事故を受け、市域の一部が一時屋内退避区域となった福島県いわき市では、食料やガソリンなどあらゆる物資が入らなくなり、医療や介護の機能が著しく低下して市外へ避難する住民が相次いだ。
「放射能パニックだった」と、NPO法人「いわき自立生活センター」の長谷川秀雄理事長(57)。中には、在宅で暮らす寝たきりの重度障害者が避難する家族に置き去りにされたケースもあったといい、「極限状態の中で判断能力が失われ、自分の身を守るのに必死だったのだろうが、ショックを受けた」と打ち明ける。
震災6日目の3月16日、「このままでは命を守れなくなる」と、センター利用者やスタッフ、家族ら30人規模での集団県外避難を決めた。意思確認や準備に手間取り、出発できたのは19日。東京の施設で約1カ月の避難生活を送り、4月17日にいわき市に戻ったが、この体験を教訓に、災害弱者のために必要な備えを検証し、避難方法などをまとめることにした。
「障害者や高齢者の避難には時間がかかる。皆が動き出す一歩手前で、行動を起こすことが重要」と長谷川さん。防護服やマスクなどを着用した避難訓練も実施した上で、避難の目安となる放射線量などを明記したハンドブックを約2千部作製。県内の障害者施設などに配布している。
一方、原発から20~30キロ圏の大半が緊急時避難準備区域に指定された南相馬市では、市とNPOが共同で、障害者が置かれた状況や必要な支援を把握する訪問調査を進めている。
実動部隊は、地元のNPO法人「さぽーとセンターぴあ」のスタッフやボランティアら。一軒一軒訪ね歩き、発達障害の子供2人を抱えて途方にくれる母親や、知的障害の子供と2人で暮らす父親が入院していたケースなどを掘り起こした。不在の家には連絡先を記したチラシを投函(とうかん)。すると、助けを求める電話が頻繁にかかってきた。
支援が必要な人々は、市の災害時要援護者名簿から抜け落ちていた。名簿は65歳以上の重度身体障害者が中心だったからだ。調査結果は市が策定する避難計画に反映されるが、同法人の青田由幸代表理事は「実際の支援につなげる仕組みが重要」と強調。障害者が安心して過ごせる福祉避難所やバリアフリーの仮設住宅の必要性を訴えている。
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