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故郷で再出発、誓う 福島の原発事故で父子離散、川瀬さん

◇「前へ進んでいきたい」 同窓生の励ます会「楽しみ」
「長岡で暮らそうと思う」。東日本大震災で福島県南相馬市から長岡市に避難している川瀬利春さん(51)は、長岡市出身。妻は2年前に病死し、震災で子ども2人は横浜市の親戚宅に預け、今は1人で避難所生活を送る。将来を考えると眠れない日もあるが、「前へ進んでいきたい」と、南相馬市には戻らず故郷での再出発を誓っている。
川瀬さんの自宅は福島第1原発から約25キロ。長女(18)、長男(11)と3人で住んでいたアパートは壁にひびが入った程度だった。しかし、原発事故が起こり、着の身着のままで避難。警備員の仕事は続けられず、子どもらを横浜市の親戚宅に預け、自身は高校まで過ごした故郷の長岡にたどり着いた。
妻は2年前に乳がんで亡くした。「妻が亡くなり、子どもの心の傷もやっと癒え始めたところに地震が起き、親子で離ればなれになった」と嘆く。一方で、電話で子どもらが前向きに生活する様子を聞いて、自身も励まされるという。
長岡に避難した当初は南相馬市に戻るつもりでいたが、原発事故の収束のめどがつかないため、友人がいる長岡に暮らすことを決めた。6月中には避難所を出て公営住宅に移り、新たに仕事を探す。子どもらも賛成してくれた。来年、長女は高校を卒業。声優志望で自立するという。長男は来年中学生になるので、長岡に呼んで一緒に暮らすつもりだ。
最近、気になることがあった。元キャンディーズの女優、田中好子さんが妻と同じ乳がんで亡くなり、話題になった。子どもらと田中さんの話をすることはない。「子どもらもあえて知らん顔をしているようだ」と少し複雑な表情を見せる。
4月下旬には、中越地震で被害を受けた山古志地域を見学。集落が水没した木籠(こごも)地区では、今も土砂に埋もれている住宅を見た。涙がにじんだ。「被害の規模に関係なく、家を失った悲しみは同じだと思った」
避難所でじっとしていると、あれこれ考えて心配は尽きない。「東海地震などがあったら、横浜にいる子どもは無事だろうか、とかね。他の避難者は家族で避難しているので相談相手はいるが、私は一人。考えが堂々巡りしてしまう」と苦笑い。
うれしいこともある。21日には、川瀬さんが長岡に避難してきたことを知った長岡市立富曽亀(ふそき)小学校の同窓生らが、励ます会を開いてくれる。10年ぶりに顔を合わし、酒を酌み交わす。「みんなに会うのが楽しみ」と笑顔がはじけた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110521-00000128-mailo-l15

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