◇避難者、会場の設営に汗「お世話になっている、お手伝いしたい」
長岡市山古志地区の伝統行事で国の重要無形民俗文化財「牛の角突き」の今季初場所が5月4日に開かれるのを前に、山古志闘牛場で会場が設営された。東日本大震災や福島第1原発の事故の影響で同市に身を寄せている福島県の避難者25人も、お世話になっているお礼に、と設営を手伝った。東日本大震災と中越地震の被災者が笑顔を交わしながら心地よい汗を流した。【岡村昌彦】
山古志闘牛会の松井治二会長(70)によると、5月4、5日の「牛の角突き」に避難者計100人を招待したところ、避難者側から「お手伝いしたい」と申し入れがあった。
この日、新産体育館にいる避難者らが参加。オフシーズンの間に闘牛場に積もった落ち葉をほうきなどで清掃した後、柵の設置を手伝った。
福島県南相馬市の高橋忠義さん(68)の自宅は福島第1原発から30キロ圏内。自宅は無事だったが、知人は津波にのみ込まれて亡くなった。さらに原発事故があり、周囲の店も閉まったため、車で妻と長女を連れて長岡市にやってきた。「新潟の人たちは本当によくしてくれるので、手伝うことがあってよかった」と話した。
南相馬市の栃倉裕美さん(44)はゴールデンウイーク後、実家のある相馬市に戻ろうと考えている。長男(17)が通う南相馬市の高校は、原発事故の影響で授業の開始が遅れていたが、相馬市の高校で場所を借りて13日から授業を再開することになったためだ。ただ今後の原発事故の状況次第では、長岡市に住む可能性もあるという。「また、原発事故でいられなくなるかもしれないし……」と表情を曇らせた。
5月5日には牛の角突きを見学する予定。「一度見てみたかった。楽しみ」と言い、ほうきで落ち葉をかき集めながら、笑顔を見せた。
南相馬市から避難した菅野秀一さん(70)は「南相馬市に戻っても、山古志でボランティアとして牛の角突きを手伝いたい。いい交流になると思う」と笑った。
松井会長は「避難者の応援を少しでもできればと思う」と語り、牛の角突きの収益の一部を寄付する方針。
避難者らは、闘牛場の設営後、中越地震による土砂崩れで生じたせき止め湖で集落が水没した木籠(こごも)地区を見学。今も土砂に埋もれたままの住宅を見て、涙ぐむ避難者もいた。
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