東日本大震災の大津波で弟を亡くし、母の行方が分からない仙台市の会社員、荒川洋平さん(29)が遺族の心境をブログで発信している。復興ムードへの戸惑いも率直につづっている。荒川さんは「被災者の視線で見る現地のありのままの状況や、一歩ずつ前へ向かおうとする遺族の気持ちを知ってもらい、被災地を応援し続けてほしい」と話している。【村松洋】
【小学生がつづる】東日本大震災:「顔が水より冷たく…」 被災児童が日記
荒川さんは仙台市の南隣、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の生まれ。あの日、弟孝行さん(27)と母八千代さん(58)は実家から避難する途中に津波にのまれた。孝行さんは遺体で見つかり、八千代さんはまだ見つからない。閖上地区はがれきや家屋の残骸で埋もれた。実家は2階まで水につかり、住めなくなった。
東北地方太平洋沖地震が起きてから2日後我が家に向かった。(中略)5分とたたずに涙があふれてきた。(3月15日更新)
遺体安置所で孝行さんを見つけた。ビニール袋に入った着衣は、水を吸って重かった。
弟の遺品は水を含んでとても重かった。(中略)ビニールの袋に穴を開け上からグッと押す。水が出てくる。この水が憎くてしょうがなかった。(3月27日更新)
孝行さんが見つかった後も、八千代さんを見つけるため遺体安置所に通う。だが、安置所に運ばれてくる遺体は日に日に少なくなり、焦燥感が募る。
いない。わからない。徐々に運び込まれる遺体が少なくなってくる。心のどこかで“もう母は見つからないのかも”そう思っていた。(4月16日更新)
小中学校の同級生、庵原(いはら)美香さん(29)も母とき子さん(59)を津波に流された。とき子さんは3月24日に遺体で見つかり、4月3日に名取市内で火葬された。庵原さんは、震災直後から書き続けていた日記の内容を、荒川さんのブログに転載した。
4/2(土)今日は朝からずっと不安でした。明日、お母さんの体がなくなってしまうから。ずっと不安だったのに、お母さんの顔を確認して、そばに来たら、気持ちが落ち着いてきた。不思議だね。これがお母さんの力なんだね。(4月19日更新)
荒川さんは友人やコメントを寄せてくれた県外の支援者らに励まされ、復興ムードに戸惑いながらも徐々に震災前の生活を取り戻そうとする前向きな気持ちもつづった。
まだまだ被災地では火葬やお葬式が行われる毎日。復興で盛り上がる世間に、ついていけていない被災者もいる。あの震災から今日で46日。1人1人それぞれのペースで前を向き、歩いていけばいい。(4月25日更新)
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