「古里がまた、遠くなった」「何をいまさら」―。福島第1原発事故が、チェルノブイリ原発事故に並ぶ最悪の「レベル7」に位置付けられた12日、避難指示区域などから県内に逃れてきた避難者は、政府への不信感をあらわにした。収束の見通しのつかない事態だけでなく、後手に回る国の対応が、避難者の不安をかき立てている。
「戻れるまで、何年かかるだろう」。福島第1原発から10キロ圏内の福島県富岡町から避難してきた小林高一さん(59)は、ため息をついた。生まれ育った相模原市内の親類宅に家族で身を寄せた後、知人の紹介で借りた東京都内の一軒家で生活を始めた。
勤務するタクシー会社からは休業との連絡が来た。戻れたとしても、町の機能が復興しなければ、生活も仕事もままならない。さらに「原発事故があった環境で、子育てを心配する親は多いはず。一体、どれだけの町民が戻るのか」と不安を口にした。
絶望感に打ちひしがれた避難者もいる。「自宅に帰る可能性は完全に消えたわけですね」。福島県双葉町からとどろきアリーナ(川崎市中原区)に避難している坂本典朗さん(42)の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。自宅の壁には、息子や家族の写真が数多く飾られている。「思い出のものをすべて捨てないといけないと思うと、つらい」
横浜市が開設する「たきがしら会館」(同市磯子区)の一時避難所に福島県いわき市から避難している男性(57)は、「チェルノブイリ級」との発表にも驚かなかった。「やはり重大な情報を隠していた」と、政府と東京電力への不信感だけが募った。もう、いわき市に戻る考えはないという。
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福島県の会津若松市。第1原発のお膝元の同県大熊町から町役場とともに移ってきた会社員吉田秀夫さん(68)は「ショックで言葉もない。チェルノブイリも収束まで相当な年月がかかった。もう町には帰れないのではないか」とがっかりした様子だ。
福島県災害対策本部(福島市)では、今回の経済産業省原子力安全・保安院の「国際評価」決定を多くの職員が冷静に受け止めた。「放射性物質が大量に出ていることは確かだからね」「われわれにとっては今起きている事態が変わるわけではない」と話す職員もいた。
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