[ カテゴリー:生活 ]

懸命に生きる被災者

2万6000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から1カ月がたち、岩手、宮城、福島など、壊滅的な津波被害の現場を取材していた県内記者たちが戻ってきた。県内にも、福島第1原発の事故から逃れた人たちが今も多く避難している。被災地、避難者を見た記者たちが感じたことを話し合った。(聞き手は大坪信剛・さいたま支局長)
◇「旅の終わりは家に帰ること」
◇汚染検査、地元反発--平川/女川の母子、脳裏に--田口/互いの励まし、支え--藤沢/避難所、安堵と不安--町田
--平川記者は、放射線量を測定する線量計を付けての取材だったが。
平川昌範記者 汚染を調べるスクリーニング検査を求めて住民たちが保健所に集まっていた。避難先や勤務先から証明書を求められるケースが多いからだ。証明書がなく病院の診察を拒否された女児もいた。実際は他人に影響するほどはなく、保健所長は「汚染地域扱いはおかしい」と憤っていた。
田口雅士記者 津波被害に遭った女川町役場のそばにいた小学生女児と母親の後ろ姿が目に焼き付いている。壊れた自宅の跡で、夫と2歳児の思い出の品を捜していた。遠くから見守るしかなかった。
藤沢美由紀記者 食器、ギター、バレエシューズ、くまのぬいぐるみ、手押し車と、さまざまな「生活」が散らばっていた。廃材やガラス片と一緒に、砂色になっていて悲しかった。一方で、町のあらゆるところで見かけた励ましの言葉には生きている人たちの必死さを感じた。「がんばろう大船渡」「けっぱれ岩手」「負けるな東北」「ふんばれ日本」と、自衛隊の車、郵便局員のバイク、ラーメン屋やホテルの壁から菓子パンのラベルにまで書かれていた。みんなで支え合って生活していた。
--町田記者は、県内に避難した双葉町の人たちを見てきたが。
町田結子記者 最初に避難した福島県川俣町からさいたまスーパーアリーナに移動してきた双葉町民の不安と安堵(あんど)の入り混じった表情が忘れられない。お年寄りが声をかけた私に「どうぞよろしくおねがいします」と深々と頭を下げた。町長は「我々は旅をしているような気分。旅の終わりは家に帰ることなんです」と話していた。
◇響いた94歳「これが人生」
--印象に残った被災者の言葉は。
平川 屋内退避指示区域の南相馬市の男性は「おれはここにとどまる。屋内だけにいられるわけがない。そんな現状を知らない政府の言うことは信じない」と政治不信を口にした。「ラジオで放射線量を毎日チェックし、避難するかどうか自分で決める」と言った。
田口 津波が来るとはみな思っていたが、経験から「このあたりなら大丈夫」と信じていたところまでのみ込まれた。足元まで水が来て慌てて逃げたが間に合わなかった人が多い。「危機意識が足りなかった」というが、まさか20メートル前後の大津波とは誰も想像できなかっただろう。
藤沢 岩手県大船渡市に生まれ育ち、昭和18年の大火と同8年、35年、今回の大津波で計4度も家を失った94歳の女性が話した「いいことも悪いこともある。これが人生」が心を打った。過酷な自然にもまれながら、懸命に生きていると感じた。
町田 長男が東京電力関係で働く70歳の男性は「過疎化が進んでいた双葉町を、ほとんど出稼ぎに行かなくてもいい町にしてくれたのは原発。怒りというより、今まで世話になったという気持ちが強い」と話した。原発と生きてきた町民の気持ちは複雑だ。
--被災地や被災者のために今やるべきことは。
平川 原発事故の避難者は帰る見通しが立たず、いらだちさえ募らせている。津波で自宅を流され、原発事故で避難していた女性は、「津波被害だけなら他の地域のようにこれから復興できるのに、原発で戻れない。私たちは取り残されている」と嘆いていた。避難所生活は過酷で、安定した住居、仕事、子供の教育環境を早く得られるようにすべきだ。
町田 双葉町の人たちもそうだ。放射性物質の放出で帰る見通しが立たず、先の見えない不安の中にいる。補償も当然のことながら、原発事故の終息にどんな筋道を立てて実行に移していくのか、具体的な時期の見通しを示していくことが何より重要だ。
田口 子供の心のケアと教育支援の必要性を感じる。落ち着いて勉強できる環境を整えてあげたい。あとは職を失った人への雇用支援。収入が途絶えると生活が立て直せない。そして避難所の衛生対策。避難が長引き、体調を崩す人が多い。
町田 新学期で子供たちが学校に行き始めると、避難所でも生活のリズムができて大人もほっとするところがあるようだ。
藤沢 私には、当事者の側に立った長期にわたる支援が必要、というところまでしかわからない。小学校の体育館に避難している人が、地元の高校吹奏楽部による慰問コンサートを聞いて善意はよくわかった上で「自分が被災者と思い知らされ、とてもつらかった」と言っていた。演奏された曲「ふるさと」について「古里をなくした人になぜそんな歌を聴かせるのか」と憤っていた。受け取る側にもさまざまな人がいると思うが、支援の難しさを感じた。
--息の長い支援は報道機関の大きな使命だ。これからも、被災者に寄り添う取材をたくさんの現場で続けていこう。
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<記者の取材先(場所)>
■平川昌範記者(福島)
3月23~30日、福島第1原発事故で村ごと避難した葛尾村、津波被害に遭った南相馬市など取材
■田口雅士記者(宮城)
3月28日~4月6日、仙台市若林区荒浜、塩釜市、女川町など津波被害現場や避難所を取材
■藤沢美由紀記者(岩手)
4月3~8日、岩手県大船渡市などの津波被害の大きい湾岸と体育館などの避難所を取材
■町田結子記者(埼玉)
3月19日~現在。福島第1原発の地元・双葉町から避難してきた人たちをさいたまスーパーアリーナ、加須市の旧騎西高校で取材

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110413-00000060-mailo-l11

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