東日本大震災の津波で壊滅状態になった岩手県宮古市田老地区。ここで90年近い歴史を持つ民宿「丸仙」を経営する腹子昌佳(はらこ・まさよし)さん(55)は津波で建物を流され、2年前に養子縁組して跡取りにと期待していた息子の亮さん(25)を失った。母も行方が分からない。新鮮な魚料理と家庭的な雰囲気に人気があった丸仙。腹子さんの元にはかつての宿泊客から激励と再建を期待する声が届いている。
丸仙は腹子さんの祖父由太郎(よしたろう)さん(故人)が創業。東京で20年近くすし職人をしていた腹子さんが12年前、3代目として継ぎ、すし店を併設した。サケ、サバなど新鮮な魚を振る舞い、1泊2食6700円という低料金もあって全国に常連客がいた。
津波が来た時、腹子さんは仕入れに出かけていた。亮さんは仕込みのため店に残り、母ミヤ子さん(80)は宿の裏にある自宅にいた。道路が復旧した2日後に戻ると街全体が消え、どこにも2人の姿はなかった。地区を襲った津波は約38メートルの高さまでかけ上っていた。
亮さんは腹子さんの亡弟の次男。北海道・小樽で板前修業をして2年前に戻ってきたのを機に養子縁組した。看板を継いでもらうためだ。最近は「そろそろ所帯持たなきゃな」と話し合っていた。無念さが募る。
丸仙があった場所は海砂に覆われ、破壊された防潮堤のコンクリート塊が横たわる。昌佳さんはそこに立つたび途方に暮れる。それでも丸仙のホームページに書き込まれる宿泊客からのメッセージに励まされる日々だ。
「また新鮮でおいしいお魚を食べさせてください。多くのファンが待っています」「たった一晩でしたが、宿の皆さんの心遣いが忘れられず田老が特別の愛着ある土地になりました」……。
毎年2回は丸仙に泊まりに来るという茨城県八千代町の大工、吉田昇さん(58)も「こういう時こそ力になりたい。再建する時に手伝いができれば」とエールを送る。腹子さんは「励ましは本当にありがたい。この状況ではどうするか考えもつかないが、やれるなら高台でもう一度という気持ちはある」と話している。【三木陽介】
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