日本パラリンピック委員会は3日、障がい者スポーツの選手に新たな競技挑戦の機会を与える初の企画「ねらえパラリンピック!トライアウト2015」を東京都障害者総合スポーツセンターで開催した。2020年東京大会の出場選手を増やすのが目的で、パラリンピックのメダリストら21人が参加した。
シッティングバレーボールとボートに挑戦した、98年長野パラリンピックのアイススレッジスピードレースの銀メダリスト、加藤正(46)は06年トリノパラリンピック以来8年ぶりに競技復帰を目指す。「今年2月に妻を病気で亡くした後、2020年に挑戦しようと思った。46歳という年齢なので体力への不安もあるけど、気力はある。シッティングバレーとボートを選んだのは188センチの長身を生かせると思ったから」と話した。骨肉腫で7歳の時に左大腿(だいたい)部を切断したが、高い身体能力で車いすバスケットボールなど多くの競技をこなし、88年ソウル・パラリンピックは競泳で出場した。「パラリンピックは夏1回、冬4回出場したけど、規模の大きな夏の大会にもう1度出場したい」と意欲を見せた。
身体障害者野球で14年世界大会準優勝を果たし、最優秀選手賞を受賞した山崎晃裕(20)は陸上競技のやり投げ、円盤投げなどの投てき種目とテコンドーに挑戦した。先天性疾患により右手関節部を欠損しているが「高校3年まで健常者と一緒に甲子園を目指していました。遠投100メートルの肩が自分の武器、体の使い方や発想が同じやり投げで世界を目指したい」と新たな挑戦に自ら期待していた。
バドミントンに挑戦した14年ソチパラリンピック女子クロスカントリースキー8位入賞の阿部友里香は「あくまでスキーが軸です。今の目標は平昌パラリンピックでのメダル獲得ですが、いろんな競技をやることは自分のプラスになる」と話した。
日本パラリンピック委員会の大槻洋也強化委員長は「日本はまだまだ選手層が薄い。欧米ではテニスとバスケットなど複数の競技をこなす選手は珍しくない。いろんな競技をやることで競技力も上がる。今後は日本各地での開催も考えたい」と話した。
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