10年前
東京から長岡に転勤してきた「Kさん」の音頭で
「我々の酒を造ろう」と「越後酒応援団」なる仲間を募り、友人達に呼びかけこの「夢三百日」が誕生したと聞いております。
代表のKさんは、
当時、この酒蔵の「杜氏」をしていた方の田んぼを借りて田植えをし、稲刈りをして酒米を収穫してこの酒蔵で醸造してもらえないかと
この社長に頼んだら快く引き受けてくれて「夢三百日」が誕生したわけです。
取り立ての筍をそのまま焼いたもので、えぐみもなく
美味しく食べられました。
夢三百日の由来は、田植えをして収穫し、精米し、醸造した後、瓶詰めして出来上がるまでの日数が約10ヶ月になり、自分たちの夢が叶うことを願ってつけられたようです。
田植えも、稲刈りも、勿論酒造りもしたことがない仲間の熱意に押されたのでしょう、
社長は良く承諾してくれましたよね。
当初私はこのメンバーではありませんでした。
二年目に仲間に誘われ、「厳しい審査の結果」合格となりメンバーに入れて貰いました。
とっても物わかりの良い、優しい社長が
今年の三月末に60歳の若さで亡くなりました。
彼の父上と私の親父が釣り仲間で、私が小さい頃良くこの酒造会社へ連れて行かれたことを記憶しております。
また彼の兄と私は同年で良く知っていたこともあり、
いつもこの社長は私を丁重に歓迎してくれました。
(次男が後継ぎしたわけです)
杜氏さんの歌はとても味があり素晴らしいです。
毎年聞かせて貰います。
長く歌い続けて欲しいものです。
昔は時計がなかったものだから歌を歌って時間を計算したそうです。
米擦歌
本来、花見の時期(4月15日前後)にこの「新酒発表会」を開催するのですが、今年は彼の突然の訃報に当たり延期されておりましたが、
家族と相談の末、今回の運びとなりました。
優しい社長の遺影を前にみんなで感謝し、盛り上がったことは言うまでも有りません。
奥様も大変喜んでおりました。
この酒蔵の亡くなった社長の母上と「会津八一」と親戚関係に有り
現在販売されている日本酒「八一」はこの社長が苦労して、先方の同意を得て日本酒に命名され商標登録もされています。
「八一」は櫻井よしこ氏ご愛飲の「銘酒」です。
優しくて素晴らしい社長を早く亡くしました、とても残念です。
ご冥福をお祈りします。
合掌