以前、NHKの『新日本紀行』という番組がありました。
日本各地の風俗・話題などをNHKらしく真面目にとりあげた番組です。
番組が終了して、数十年が経ちました。
少し前になりますが、『新日本紀行・再び』という番組を見ました。
かつて『新日本紀行』で取り上げた話題のその後を取り上げた番組でした。
私が見たのは徳島の『阿波おどり』を取り上げた回でした。
徳島の『阿波おどり』と言えば、日本人なら知らない人はいない程の有名なお祭りです。
番組ではその中でも、人気の踊り手の男性を紹介していました。
その男性は普段は真面目な経理マン。それがまつりになると、激しい動きのコミカルな踊り手に変貌しました。
その人気は大変なもので、県外にも彼のファンが大勢いるほどでした。
番組ではその男性の今を紹介していました。
流石に数十年の年月は、その男性を踊り手から引退させてしまっていました。
もう八十近い年齢の老人です。
しかし、踊りを見つめる目の輝きは昔のままでした。もう自らは踊れないけれど、心は今も若い人と一緒に踊っているのでしょう。
徳島にはおそらくこのようなお年寄りが大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
徳島の『阿波おどり』はそのような人々の歴史の積み重ねで出来ているのでしょう。
まつりは決して、今を生きる者だけのものではないのです。
最近、流行りの『よさこい・ソーラン』は今を生きる者だけの踊りです。
もちろん『よさこい』も『ソーラン節』も地域の歴史に根付いたまつりです。
しかし『よさこい・ソーラン』の人気にあやかって、全国各地に名前を変えて、似たような『踊り』が大量に発生してしまいました。
本当にこれでいいのでしょうか?
今の人々しか参加出来ない踊り…それがどうして地域の活性化になるのでしょうか?
盆踊りは生者に混じって、祖先の霊も一緒になって踊るものです。
私たちの今は祖先から受け継がれてきたもの。
そして子どもたちの未来に引き継いでいくものです。
『よさこい・ソーラン』を踊る人には未来も過去も見えてはいないのでしょうか?