東京電力福島第一原発事故後に出されていた福島県楢葉町の避難指示が、5日午前0時に解除された。町に帰ることを決めた住民、帰ることをためらう住民ーー。4年半にわたる避難指示が解除されたこの日の楢葉町には、さまざまな思いが交錯していた。
楢葉町の仮設商店街「ここなら商店街」の前で移動式のコーヒー販売店を開店している高野幸子さん(43)は約1カ月前から、帰還に向けて町に滞在できる「準備宿泊」の制度を利用。母親とともに、再び楢葉町の自宅で暮らし始めた。震災後はいわき市に避難し借り上げ住宅で暮らしていたが、「自然がいっぱいの楢葉町に帰り、のんびり暮らしたいと考えていた」と話す。「本当は父親がとても帰りたがっていたのですが、昨年亡くなりました。避難指示解除がもっと早く出ればよかったのですが……」と、4年半という月日の重みを噛み締めた。
一方で、帰還をためらう住民も多い。いわき市に避難している男性(73)は、震災後に楢葉町の自宅の放射線量を減らそうと、家具や食器などほぼすべてのものを捨て、自宅をリフォームしたという。「いつでも帰れる状態にはしてある」。それでも、「帰るかどうか、悩んでいる」と話す。
男性にとって最大の問題は、産業が再生していない現在の町で雇用がないことだ。娘夫婦と同居しているが、「町には娘夫婦が働ける勤め先が全くない」ことから、帰還は現実的ではないという。それでも自宅の手入れのために、3日に1度は楢葉町の自宅を訪れる。「本音はやっぱり、ふるさとに帰りたい。たまにこうして来ると、気休めになるんです」と語った。
いわき市に避難している根本範史さん(81)夫婦はこの日、自宅の除草作業のために楢葉町を訪れていた。楢葉町に帰るため、ここ1カ月間は毎日自宅の掃除に楢葉町に通い続けているという。「ふるさとであり、苦労して建てた家。この場所に帰りたい気持ちが強い」と話す。
その一方、放射能への心配から「孫には楢葉町に戻ってくるな、と言ってある」。避難指示は解除されたものの、4年半もの間住民が避難していた町で生活が成り立つのか、不安も拭いきれない。楢葉町から大きな店舗や病院のあるいわき市には、車で約50分かかる。「ここにはお店も病院もない。この先若い世代はあまり帰ってこないだろうし、町は単独では成り立たなくなるのではないか」と、将来への不安をにじませた。
(安藤歩美/THE EAST TIMES)
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