日本人男性の20人に1人、女性の500人に1人…。色弱の人の割合とされる。小学校ではクラスにおよそ1人、色弱の男の子がいる計算だ。日本全体の総数では300万人以上。これは、2010年時点での都道府県別人口11位・茨城県の総人口より多いこととなる。
現代の病理「誇大自己症候群」 ―“普通の子”がなぜ凶行に走るのか
ご存知の人も多いだろうが、今、小学校で色覚検査が行われない。義務教育の定期健康診断から色覚検査がなくなったのは、2003年度から。すでに10年以上が経つ。なぜ、なくなったのか。
「色弱」や「色盲」といわれる色覚異常は、主に遺伝による。これといった治療法がなく、眼鏡などでの矯正もできないため「差別につながる恐れがある」という声が挙がったため、といわれる。確かに、「色弱」「色盲」(以降「色弱」とまとめる)の人を取り巻く社会環境は劇的に改善したが、色覚検査が廃止されたことで教育現場の色覚に対する意識や知識が薄れている、という指摘もあり賛否両論だ。子どもが緑色の箸と茶色の箸を片方ずつ持っている、お絵描きで人の顔を黄緑色や黄土色に塗る、などの様子を見て戸惑った親が一人で色弱について調べ、実態以上に深刻な自体と捉え、孤独に思い悩む、というケースがあると考えられる。
2008年に発売されて以来、色弱についてわかりやすい本だと読み続けられている『色弱の子を持つすべての人へ―20人にひとりの遺伝子』(栗田正樹/北海道新聞社)は、色弱についての誤解を拡げないよう、まず、社会のひとりひとりが色弱に対して正しく理解することが大切だ、としている。日本では色弱が身近にある。前述のとおり色弱は遺伝されるが、女性の保因者は10人に1人といわれるので、比率が高い男性だけの問題ではない。
社会環境が改善したといっても、色弱の子どもが、決定的ではないにせよ学校や日常生活で不便に感じることはある。
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●黒板の赤チョークの文字が見えにくい。
●赤・茶・緑などの点で示された社会科の地図や分布図などが見にくい。
●化学の炎色反応がわかりにくい。
●パソコンソフト「Excel」のセルを塗りつぶす色の微妙な判別ができない。
●カレンダーで日祝日(赤字)を見落とす。
●左右違う色の靴下やスリッパをはく。
●充電器、テレビ、パソコンなどのLED(発光ダイオード)で、オレンジ色か黄緑色かの区別がつきにくい。
●自然の中の小さな赤色の花や、夜空の赤い星が目立たない。
●焼き肉で生なのに焼けたと間違える。
●野菜の鮮度が落ちて茶色になっているのがわかりにくい。
●果物の熟度がわかりにくい。
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色弱は血液型と同じようにひとりひとりが持つ遺伝子の違いによってタイプが決まるため、上記が当てはまらないことがあるし、程度の強弱もある。本書では、そもそも色弱は生まれつきの特性であり、治療の対象ではないため、医学的な正常に対しての「(色覚)異常」を一般社会での呼び方にする必要はないのでは、と考えている。(色覚)障害、色盲、色弱にしても同様である。血液型のように多様性のひとつであり、個性として社会で受け入れられることを望んでいる。
色覚検査がなくなったからといって色弱の子どもがいなくなったわけではない。“少数派”である子どもたちは、“多数派”の社会で前述の例のような不自由を確実に強いられている部分がある。
色弱を取り巻く社会環境の改善は、ユニバーサルデザインの考え方が浸透してきたことと切り離せない。高齢者や障害者を対象にした「バリアフリー」の考え方を含め、能力や文化、老若男女の違いなどに左右されず多くの人を対象にした施設や製品、環境を指す「ユニバーサルデザイン」。安全を考慮した自動ドアやエレベーター、大きな文字や絵文字を使用した公共施設の案内板ほか、さまざま導入されている。色に関しては、「カラーユニバーサルデザイン」の考え方のもと、色の違いがわかりやすいチョーク、カラーボタンに色名が入ったリモコン、アンダーラインが入った時刻表、色と色の間を縁取りした案内板などが普及してきている。
本書の冒頭に「違いとはエネルギーだ」という言葉がある。色弱には、「青が鮮やかにきれいに見える」「青系から黒系の色や、オレンジ系から黄色系の見分けに敏感」などの特性もある。社会を構成するひとりひとりのマインドの変革が、色弱に限らずさまざまな差異を克服し、誰もが本当に生きやすく、個性を発揮できる世界を実現するのではないだろうか。
文=ルートつつみ
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150319-00006219-davinci-life