人だけがいないのである。
ロードサイドの大型店に停められたままの車、子供の声が聞こえない幼稚園、軒先に干されたままの洗濯物、買い物客のいない商店街……。
海沿いの地域は津波による被害を受けたが、街全体で見れば地震による被害は少なく、穏やかな春を迎えているはずだった。福島第一原発での事故さえなければ――。
東日本大震災発生翌日の昼過ぎ、町内放送での避難指示を受け、わけもわからずに家を出た楢葉町(ならはまち)の主婦は、いわき市内の避難所でこう話した。
「ほんの、2、3日で帰るつもりだった」
避難指示区域に指定された半径20km圏内の住民たちは“日常”をそこに残したまま帰ることを許されずにいる。
事故発生から1ヶ月以上が過ぎた4月17日、東京電力はようやく事故収束に向けての工程表を発表した。
「原発が安定を取り戻すまでの期間を6~9ヶ月と設定したい」
これを受けた海江田万里経済産業大臣は住民の帰宅について、
「6~9ヶ月を目標に、帰宅が可能かどうかお知らせできるようにしたい」
と、曖昧さを残した。これまで後手後手の対応をしてきた政府と東電である。彼らが掲げた“目標”を鵜呑みにするほど国民はバカではない。だが、原発事故という“人災”によって、ある日突然すべてを奪われた住民たちは、その実現を心底願っている。その思いを政府と東電は裏切ってはならない。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110506-00000308-playboyz-soci