大津波が襲った宮城県気仙沼市の老舗酒蔵「角星(かくぼし)」で、からくも被害を免れた熟成タンクの日本酒が完成した。「これからもこの地で生きる人たちの希望の光になりたい」。斎藤嘉一郎社長(53)は、復興に向けた第一歩としてこの酒の出荷を決め、酒に「船尾灯(ともしび)」と名付けた。(八木択真)
斎藤さんが生まれ育った港町は、あの日を境に一変した。押し流された貯蔵タンクから漏れた重油で、気仙沼湾は火に包まれ、今も焼けこげた漁船が波に揺れる。港近くの創業地に建つ築80年の蔵づくりの販売所も流され、かろうじて原形をとどめた2階部分だけが、大量のがれきとともに近くに残されていた。
「『天災だ』とあきらめるしかないのは百も承知ですが…。今でも夢を見てるような気がする」。市内では約700人が遺体で発見され、1400人以上が行方不明のままだ。
港から数百メートル離れた同社の醸造所は、寸前まで津波が迫ったが、仕込みタンクの中にあった熟成中のもろみ6千リットルは、奇跡的に無事だった。ただ、繊細な温度管理に必要な電気が途絶え、廃棄処分も覚悟した。だが街が落ちつきを取り戻すにつれて、取引先から出荷を求める声が上がった。
「やれるだけやってみよう」。斎藤さんは建設現場用の発電機を調達し、地震の被害を免れた従業員とともに温度管理を再開。厳しい冷え込みが逆に幸いし、なんとか品質を保った。予定より10日遅れで絞った酒はやや辛口になったが、予想以上の出来だった。
斎藤さんは東京で醸造技術を学んだ大学時代を除き、気仙沼を離れたことがない。約100年前に曽祖父が創業した蔵を継ぎ、恵まれた海の幸に合う酒を、地元住民のために造り続けてきた。街が苦境に立つ今だからこそ、苦労して造ったこの酒への思いは強い。「これからも、ここで蔵を続けていく礎の酒にしたい。下を向いてばかりはいられない」と力を込める。
酒はできたものの、街の主力の水産加工や造船業が壊滅した気仙沼は、先行きが見えない。仕事や住居を求め、街を出ていく被災者も多い。いったいどれだけの人が街にとどまるのか、不安は募るばかりだ。
斎藤さんは今、電気が途絶えたあの日の夜を思い出す。暗闇の中、そこかしこで動く懐中電灯の光。そこに、絶望と恐怖の中で生き抜く人々のかすかな希望を感じた。「船尾灯」の名には、あの日見た希望の光が重ねられている。
斎藤さんは語る。「ここで生きていくことを選んだ人に、飲んで『明日に向かおう』と思ってもらえたら」。再出発の第一歩を刻む酒は、月末の出荷を目指し、近く瓶詰作業が始まる。
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