skymaxです。
津波と言えば太平洋側が定番ですが、かつて日本海側にも大変な大津波が押し寄せたことがあります。
被害の規模は津波、今回の震災と同規模かそれ以上だったかもしれません。
『にいがたの空と海と』(新潟読書会編・萬松堂出版部1972)に、平安時代に越後を襲った大津波を題材にした小説が掲載されています。
『銀色の墓』(本間芳男)です。
平安時代迄の越後平野は今とは全く異なる入り海だったそうです。
現在の長岡市付近まで海が入り込み、小島が点在していたそうです。
平安時代には何度も大地震や大津波に襲われた記録が複数あります。
小説の大津波はフィクションではないようです。
806〜809年頃大津波
二王子山の八合目まで津波が押し寄せる
863年越後大地震
1045年越後大津波
津波の直前に液状化現象が発生、海水は七日間も引かなかった
1092年越後大津波
越後の地形は大きく変わり、平野が増える
この津波で角田山から伸びていた半島が流失・大量の土砂が入り海に流され、現在の越後平野を形づくったとされています。
(別紙の地図は1060年頃の地図です)
1099年越後・越中大地震
この後暫く大きな地震はなく、再び越後に大地震が発生するの1517年になります。
興味深いのは大地震・大津波が9世紀と11世紀に集中しているように見えることです。
二王子山(二王子岳)は新発田近郊の標高1400メートルの山です。
この山の八合目まで津波が押し寄せるなどということが現実にあり得るのでしょうか?
半島がまるごと流失してしまう大津波なんて現実に起こり得るのでしょうか?
地学的な確認がどこまでとれているのか不明ですが、複数の記録が残されている以上、想像を絶する災害が発生したのは間違いないようです。
私たちは津波と言えば、太平洋側という先入観があります。
しかし、実際には日本海側も想像を絶する大津波に何度も襲われていたのです。
今回の震災は新潟県に住む私たちにも、決して他人事ではありません。
もし柏崎刈羽原発に万が一のことがあれば、今の福島県のような惨状になるかもしれません。