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スペシャルオリンピックス日本・新潟副会長、岩崎久弥さん /新潟

◇知らないことが障害--「スペシャルオリンピックス日本・新潟」副会長・岩崎久弥さん(53)
 スポーツを通じて知的障害者の社会参加を支援する国際組織「スペシャルオリンピックス(SO)」。地域の人に知的障害者を知ってもらう場を、と県内支援組織の発足に奔走した。新潟市内の知的障害者施設に勤めながら、企業や団体からの寄付を募るなど奮闘している。
 障害者福祉の現場に飛び込んだのは偶然だった。「バイト、代わってくれないか」。東京の学生だった30年ほど前、大学の友人から頼まれ、品川区の知的障害者らの授産施設を訪ねた。区内の保育園から出る洗濯物を集配し、クリーニングする知的障害者に付き添うアルバイト。懸命に作業する姿に衝撃を受け、1年間通い続けた。
 「最初は相手が何を考えているのか分からず怖かった。だけど、それはこっちが理解しようとしないから」。ひたむきに生きる知的障害者を支える仕事に就きたい――。そう考えて大学卒業後、帰省した。
 しかし、働き口は少なく、市内の施設に就職できたのは1年半後だった。古紙・廃品回収や割りばしの袋詰め作業などさまざまな仕事で一緒に汗を流した。一方で、近所の公園に立っているだけで不審者と通報される現実も目の当たりにする。
 「障害者を受け入れる土壌がないのは、知るきっかけがないからではないか」。そう感じていた01年、SOの活動を知った。
 SOは、夏季と冬季の世界大会を交互に2年おきに開催。月に2回ほど地域で知的障害者にスポーツの機会も提供する。ボランティアのコーチを募り、企業などから賛助金を得て運営している。
 地域を巻き込んだ取り組みに「施設中心だった福祉が変わるかもしれない」と感じ、04年に「SO日本・新潟」を設立。長野県で05年に行われた冬季世界大会には、県内から選手8人を送り出した。
 スキーを通じて口を開くようになった男の子。バスケットボールを懸命にプレーする姿に感動しボランティアを続ける会社員――。賛助会員は増えたが、まだ世間の知名度は低い。「障害者のことを知らないのが一番大きな障害」。活動を通じて教えられたことを少しでも多くの人に伝えたいと願う。【岡田英】
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 ■人物略歴
 ◇いわさき・ひさや
 1955年、新潟市生まれ。同市東区の知的障害者通所授産施設「ほがらか福祉園」園長。趣味は楽器演奏で、02年から毎年「新潟まつり」に参加、障害者らとサンバを披露している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080608-00000112-mailo-l15

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2008年06月15日 09:14に投稿されたエントリーのページです。

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